森
はむぱんさんによる写真ACからの写真 )




先日NYにいる知人であり素晴らしい音楽家である方がほぼリンチのような形で襲われた。命に別状はなかったのだが、このコロナ禍で想像するにやはりアジア人に対する差別の感情からなのかもしれないと勘ぐるのは私だけでしょうか。ニュースとして上がってこないコロナ禍差別事件は実はかなり多いのではと思っているのですが。

本当に悲しい事件であるが、世の中広く目をやっているとそのような事件は沢山ある。そのコロナ禍以前にも。私もNYに住んでいたのだが、今のNYよりは治安は相当悪かったので今のNYの状況は噂でしか知らないのだが治安は良くなっているはずだと思っている。私は20年以上行っていないのだが、知人が再び訪れた印象はもう観光地化しているという話だった。つまり安全だと言う事なのだと思った。

その中での事件なのだから「安全」ではないのか?と改めて考えると、人間など「知っている」という事はどれだけ役に立つのであろうかと悩ませられるである。

本物の知というのは経験から得るものであるべきであると思っている。普通はそうであろう。ある一部の人はそれを物事を本などで得たものをあたかも自分が経験したものとして吸収してしまう。そういう輩を天才と呼ぶのだろう。

しかし情報過多の現在に置いて、本当の経験から知る事は果たしてどれくらいあるのだろうと思いませんか?

・・・・・・

話が逸れて失礼しました。情報はできる限り自分に近い人や物からの発信源が頼りになるが最終的にはそれが全て正しいということでもないという事で締めます。残念ながら正解を出せなくて、ご勘弁を。




気を取り直してタイトルの回収をしますが、世の中には本当に理不尽な事が多い。差別も然り。それを何とか解決してく事を繰り返していく事が人間社会で生きるという意味なのだと思う。

特にSNSが発達した世の中で多くの事件があり、それをテレビや新聞でない媒体で知ることになり、そこに沢山の人間の感情が群がる。でも事件に遭遇した当事者が一番辛いのである。そこに群がる野次馬が多すぎて最近はSNSを見る機会が随分と減った。

でも自分の近い人が大変な事件に遭遇するとそれは辛いし助けたいし自分も気をつけないといけないと身を引き締める思いにもなる。そういうことは知っておくべきだと思う。

でも果たして自分より遠い事柄をすべて細かに知るという事が本当に良い事なのかどうか最近疑問に思う。知らなくてもいいのでは?と思うことも多い。得に最近流行っている不倫バッシング。

とにかく情報が多すぎてウンザリしている。



また話が逸れた。

若者に社会人に出るための心構えとして「世の中は理不尽があるという事を覚えておく事。理不尽なこともグッと飲み込んで生きていくのが人生だ」ということもある。

もちろん理不尽に戦う人もいる。それは是非頑張ってもらいたいと思う。しかし理不尽にも大小あって社会人になれば感じることは沢山出てくる。社会を知るには理不尽に出会うと良いかもしれない。

それを乗り越えていくのが人生。しかし本当に大変な事件に陥って困窮している方々は世界に沢山いる。本当に人間社会は理不尽なのである。

でも世界中の人間がそれを乗り越えて生きていることに過去も現在も未来も変わらないであろう。

だからお互い助け合って生きていくのである。それが人間社会なのである。



このコロナ禍では生きる不安から人間の醜さがさらに露呈している感じがする。特に民族、人種、国家間。

憎しみ合うのは簡単である。しかしそれでは何も解決にはならないのである。

こういう時こそグッと感情は堪え、どうやって生きていけば良いか真剣に考えるべきであろう。そして平和というのがどれだけ素晴らしいのかという事を必死に考えて理解するべきであろう。

困っているのはあなただけではないという事も知らないといけない。

他人に対するいろいろな嫌悪感が生まれる理由もわからなくないが、そういう時こそグッと堪えるのである。

世の中に理不尽がある事を知ろう。それを知らない輩が多くなったからなのかもしれない、やたらノイズが沢山増えた理由は。

SNSという誰でもリーチ出来て発信できる媒体が生まれたからではあるのだが。これも世の中の発展には通らないといけない宿命なのでしょうか。


私はコツコツと自分のできる事をやるだけです。


それではまた!!




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