ブログ更新を随分とご無沙汰してしまいました。

その間にいろいろ気が付いたことをメモとして残しておきます。また同じなのですが、私の勝手な思い込みと感想とわがまま言い放題な内容なので興味のない方は読み飛ばしてください。

  1. 何が裕福で何が貧困なのか
  2. 人生はゲーム?
  3. 楽器を演奏することもゲーム?
  4. 断酒を経て思った事  

日本国内だけにいる人は日本の中だけでの感じ方になるのだろうけど、富と貧困というのは人間社会の中で人間がいる限り尽きない問題である。私もその渦中にいる人間であるのは間違いない。

お金って何だろうね?って思う事も多いが、貧困層の方々にはそんな哲学的?な事など考えている余裕などない。金だ!金だせ!金がなければ生きていけない。裕福になりたい。そう切に願ってがむしゃらに生きているのであろう。

貧困の中に生きている人にとって富を得るというのは麻薬みたいなものなのかもしれない。もともと質素に暮らしていたのに、こんなに裕福な生き方があるのか!と見せつけられれば致し方ないのかもしれない。

金持ちだから幸せというのはイコールにならないというのは金持ちが言う言葉である。持っていない人間にとっては「なに言ってんだ!馬鹿野郎!」と思われても当然であろう。

世界レベルで見て日本はたとえ平均以下の年収であっても貧困と言えないレベルにあるのは知識としては理解されていると思う。しかし、実際貧困レベルの国に行ってい見ると(失礼な言い方かもしれない)人間性はとてもやさしい人が多いというイメージがある。しかし、ことお金になると卑しくなるのは古今東西一緒なのだろう。

確かに街自体がもう秩序のなさそうな街を徘徊していると、自分がそんないい格好しているとは思わなくても金を持っていると思われるのだろう。当然である。

そしてお金をたくさん落としてくれるのだろうと思われる。当然である。

しかし発展途上国のレベルの街は本当に活気がある。人間のエネルギーが先進諸国と違う。

生活が豊かになってくるとこういう事が起きるのだなぁと俯瞰して見れるから面白い。面白いなんて言ってはいけないのかもしれないけど。

豊かになるとこういう順番になる。

  1. 自転車
  2. バイク
そして、子供も増えて若い人々が街にあふれる。

この順番はかなり肌感覚で感じられたことである。しかし、インフラが追い付かないから大渋滞、排ガス問題に発展する。そしてどの先進諸国もそれを経て国が栄えたのである。先に見えるのはアメリカやヨーロッパである。日本も然り。

確かに自分たちから見て目標が見えると皆が頑張る。発展しようとしている国はまさに夢を抱いてい生きているのだろう。「彼らの様になりたい、彼らの国の様にしたい」。

しかし富裕層はまさしく言うであろう、「その上がろうとしている、または上がっている時期の方が楽しいと。そして金を沢山持てたとしても幸せではない」という事を。

人生とはゲームである。という意見に賛成せざる負えないと思っている。

人生を楽しく生きるにはどう生きたらいいか?そういうものを人間はいつも追い求めていると思う。個人個人ではレベルは違うとしても。

面白いゲームに挑戦していると楽しいですよね。夢中になりますよね、周りが見えなくなるくらい。

毎日生きていてその感覚が一番楽しいのだろうと思います、

でもそんな人生を全員が享受できるわけではありません。それこそ小さいころから受けてきた教育の中身や、自分なりに経験してきたことがすべて関連して自分の幸せというのはこういうものだと定義されるわけであるから、これが正しいなんて言える人生なんて一つもありません。

ただ全体の雰囲気として生き生きとした状態を仲間や社会が作れるようになれば個人個人の高揚感は高くなると思う。それはもちろん目標や夢があっての事であるのであろう。

発展途上国の街のイメージはまさにこれから下に落ちる事のない、上だけを見て歩いて、走って、笑うのである。それは先進諸国のような明確な目標が見えるからである。俺たちもああなりたい!という明確なイメージは大切である。

では先進諸国の人間はどうなのか?

  1. バイクが持てる。
  2. 車が持てる。
  3. 家族が核家族化してマイホームを持つ。
  4. 子供に夢を託す
  5. 子供がやりたい夢を目指せる
  6. 人生楽しいことが増えるから結婚もしない、子供も作らない

かなり乱暴な考え方かもしれないが、あながち間違っていないと思っている。この合間にいろいろな社会現象が生まれて時代を作っている。

ここでやっと人間はこうなると考える。

裕福な国になって便利になって、いろいろな商品やサービスにいつでも手が届く状態になると人間というのは怠惰になる。(笑)

「怠惰になる」というのは失礼な言い方かもしれないが、そんな感じなのが先進諸国の今の状態なのかなと俯瞰してみています。

怠惰になるから街にあまりエネルギーを感じないのです。かなり人として、街として、国として詰んでしまった感があるともうその先どうしていいのかわからない。だから巡行速度で生きようよ!的な雰囲気なのだと思う。

そういう風に感じたのが新しい新興国というか、先進諸国に随分と近づいたと思われる国の印象である。

ここまで述べていると結論としてはやはり夢や希望、目標はないと人生成り立たないのだなぁという事を感じている。

ミクロからマクロへ、マクロからミクロへと社会を見つめていると、人生に意味を持たせないといけない動物となってしまった人間に必要なことなのだと痛感している。

私の人生も然り。ミュージシャンになりたい一心で生きてきて楽しかったが、シャープスに入って解散して、なんか自分のキャリアが幕を閉じてしまった感が否めない。やるべきところまでやったという事である。

そうなると人生つまらないものである。だからまたゲームを見つけてハマる。それは「如何に誰よりも演奏が上手くなるか」という事である。

最近はEスポーツなるものが世界的に流行っているらしい。自分が若い頃なんて想像もできなかったことである。テレビゲームがスポーツとなって凄まじい賞金がかかるなんて信じられない事である。でも現実はそうなっている。ゲームはハマる。子供の頃は随分とゲームウォッチやスーパーマリオなどやったものだが、結局極めてしまって上を目指すことも出来なくなったから終わってしまった。(ここが問題の点なのである)

その前にはアナログなゲームで生きている人も多かった。麻雀やパチンコである。これをゲームというか分からないが、デジタルな世界がなかった時代はそれこそが簡単に手に入るエンターテインメントである。

楽器も然り。楽器は自分を表現できるというおまけまで付いてくるから、楽器が気軽に手に入るようになれば奏者が増えるのは当たり前のことだと思う。

後はそこにお金が付くか付かないか。つまり稼げるか稼げないかに寄る。

私事で言うならば、また楽器を演奏するというゲームに戻ったという事である。いろいろな音楽を経験させてもらって、いろんな会場で演奏させてもらって、稼がせてもらって、いつの間にかやりたいことをやってしまったのである。そうなると元に戻らない限り音楽から足を洗う羽目になる。

実際考えたことはもう何回もある。今でもだ。

しかし音楽をやっていると楽しいのである。そこに尽きる。

だからやめるつもりはない。今はね。(笑)

酒を止めてから楽器が楽しくなってきた。それは断酒してプラスの面である。集中している。これからも続けるであろう。どこまで上手くなれるか今は楽しみである。個人的に自分の演奏を聞き返すと伴奏の部分は随分と良くなったと思うが、アドリブソロはまだまだリズムもイントネーションもダメだなぁ。やることは多い。

と徒然なく、とめどなく書いてしまったが、つまらないことだったら申し訳ない。ここで謝っておく。


それではまた!




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