東京で生まれたことは良かったのか悪かったのか分からない。

仕事でほぼ日本の47都道府県は行ったのだが、地方はいいなぁと思うことはあったのかどうかと言えば、行った時はいいなぁと思えるのだが、やはり東京出身なので都会の便利さというものに慣れてしまっている自分には地方は向かないかなと思っている。

東京は狛江で生まれた。

真冬で東京でも豪雪の日だったらしい。

後に、その日を覚えているという人生の先輩に出会った。確かにその日は豪雪だったらしい。

3歳でその狛江から引っ越してしまったので狛江での記憶はほとんどない。

覚えているのは引っ越す時に近所の友達との別れが悲しくて、引っ越す直前に会えてずーっとその子と泣いていた事と、おじさんが確か引っ越しの手伝いに来ていてその車で移動していた事だけかな。

大学の時に、その団地に住んでいるという友達がいていろいろ話を聞いた。

イー3ー304。自分が生まれて一番最初の住所である。

これだけはずーっと覚えている。人間の記憶とは不思議なものである。

それ以来、実家はずーっと稲城市にある。

よく遊んだ。周りは森、林、畑、田んぼ、自然の塊のような地域が沢山あった。だから東京にいながらほとんど地方の人と変わらないような遊び方をしている。

今の子みたいに家で遊べることなんて言ったら、ブロックを組み立てたりするくらい。ボードゲームとかあったけどそんなに遊んだ記憶がない。まず家で遊ぶことが嫌いだった。

だからかもしれないけど、今でも好奇心を旺盛なところがあって、幼稚園は家からすぐの所にあったのだが、小学校、中学校、高校、大学とどんどん家から離れている場所に行くことになり、仕舞いには最後の就学場所がニューヨークという、外へ外へという性格だったのかもしれない。

中学校は一山越えて行く場所で、高校は1時間以上かけて電車を乗り継ぎ最寄駅から歩き、大学は2時間近くかけて通っていた。小学校に至っては、子供が多かったから最初の2年は比較的近かったのに、新しい学校は子供の足で歩いて30分くらい、田んぼの中に作られてその周りも造成中だったから雨の日は泥だらけになって通っていた。

だからなのか、今でも歩く方が車に乗るより好きである。

きっと新しい場所が好きらしい。

引っ越し先の初日に三輪車に乗って遠くに行き過ぎてしまい、迷子になって交番に保護されたという話は逸話でなく本当のこと。父親は相当慌てたらしい。今でも語り草である。父親の背中におんぶされて夜に帰ったのだけは記憶に残っている。

そういう性格だから外向きの性格だったのだろう。今でも引っ越し魔で引っ越し貧乏であり、未だに一人でヨーロッパ旅行するくらいである。

好奇心、というか怖いもの知らずというのもあるのだろう。元々は臆病なのだが、歳をとったり経験が増えてくると大胆になっていくもの。

たまに危ないことにもなりそうな事もあるのだが、結局は何事もなく終わるからつまらない。

人生のネタが少ないのが残念である。(笑)

いつもニュートラルな気持ちだからなのしれない。人間とは見たいものを見る生き物と言われますが、その通りなのかなと最近は感じています。

見たいものというよりか、自分の頭に浮かぶどんな思考も現実になるのでしょうね。

何も考えてないからなぁ、俺。(笑)