「今日は何して遊ぼうかなぁ?」

いつもそんな感じだった。小さいころから毎日がつまらなくて楽しい事ないかなぁと家にいるときも外にいるときもそうだった。学校が好きだった時期も嫌いだった時期もあったけど、とにかく遊ぶことしか考えていなかったかもしれない。

雨の日は嫌いだ。外で遊べないから。とにかく学校から帰ってすることは外に出る事。外に出れば遊び仲間が居た。居たというより外で一人で待っていれば必ず誰かしら来た。来ない時もあったけどそれはいろいろ事情もあっただろうから全く気にしてはいなかった。

とにかく外が好きだった。家で遊ぶのが苦手だった。

それはたぶんだろうけど兄が得意とする「組み立て」が苦手だったのだろう。プラモデルとか好きだったけど、兄は作るのがとてもうまかった。自分も作るのは好きだったけど、プラモデルにしてもレゴみたいなものを作るにしても何にしても兄が上手かった。だから外で遊ぶ方に向いてしまった。

未だに覚えているのが、小2までやっていたエレクトーンのレッスンを友達と遊びたいからやめてしまった。

何で家にエレクトーンがあったのか覚えていないのだが、兄も私もエレクトーンのレッスンを受けさせられた。でも遊びたいからやめてしまった。それは親も受け入れてくれた。

団地の前にはゴミ集積場があって、良くその中で遊んだものだ。子供ってのは汚い物に何も嫌悪感がないのか、楽しかった思い出しかない。よく母に怒られていた。それもベランダから大声でののしられたことは1度だけではない。

それだけでなく、子供の足でも少し離れれば自然がいっぱいだった。カブトムシやクワガタなんて普通に取れた。近所のおじさんの散歩に連れられてよく虫取りに出かけた。うちの親は興味全然なかったが。

小さい頃は休日は早起き、学校があるときは起こされる生活が普通だった。

「納豆か、卵か、海苔」

これがうちの朝飯だった。

朝飯が重要かどうかなんてそのころは全くなかった。家の食事がスタンダードだった。

朝は友達に誘われて一緒に、もしくは待ち合わせして学校に行くこともあったが基本的には足取り重く一人で行くことしかなかった。未だに嫌な思い出。

とにかく遊ぶ事、それだけだった。今の子供達は可哀想だなぁと思う。ゲーム、スマホっていいのかね。

というのは、自分が本当にバーチャルから離れられたのはニューヨークの留学だった。

それまで日本の子供たちと同じく、漫画にはまっていた。「ジャンプ」「サンデー」なんかがメインかな。ロサンゼルスにいた時は、リトル東京の紀伊国屋書店に行ってまで立ち読みしていた。

でもニューヨークで学校生活が始まって、初めて学校が楽しくなった。自分の学びたいことを学べるというのはどれだけ素晴らしい事なのかを感じた瞬間だった。

それは「リアリティ」が「バーチャル」を超えた時だった。

それ以来、漫画は読むがはまることはない。

だから今でも旅行に行く。一人で。リアリティの驚きが好きなのだ。

それは小さい頃の「何して遊ぼうかな?」 と同じ感情なのだろう。

50歳を越してもまだまだ子供だね。(笑)