アラフィフ「お一人様」気ままな人生 〜 正しいBLOG〜

旅行日記、自分の仕事で学んだ事、お気楽人生観、その他いろいろ

2019年12月



東京で生まれたことは良かったのか悪かったのか分からない。

仕事でほぼ日本の47都道府県は行ったのだが、地方はいいなぁと思うことはあったのかどうかと言えば、行った時はいいなぁと思えるのだが、やはり東京出身なので都会の便利さというものに慣れてしまっている自分には地方は向かないかなと思っている。

東京は狛江で生まれた。

真冬で東京でも豪雪の日だったらしい。

後に、その日を覚えているという人生の先輩に出会った。確かにその日は豪雪だったらしい。

3歳でその狛江から引っ越してしまったので狛江での記憶はほとんどない。

覚えているのは引っ越す時に近所の友達との別れが悲しくて、引っ越す直前に会えてずーっとその子と泣いていた事と、おじさんが確か引っ越しの手伝いに来ていてその車で移動していた事だけかな。

大学の時に、その団地に住んでいるという友達がいていろいろ話を聞いた。

イー3ー304。自分が生まれて一番最初の住所である。

これだけはずーっと覚えている。人間の記憶とは不思議なものである。

それ以来、実家はずーっと稲城市にある。

よく遊んだ。周りは森、林、畑、田んぼ、自然の塊のような地域が沢山あった。だから東京にいながらほとんど地方の人と変わらないような遊び方をしている。

今の子みたいに家で遊べることなんて言ったら、ブロックを組み立てたりするくらい。ボードゲームとかあったけどそんなに遊んだ記憶がない。まず家で遊ぶことが嫌いだった。

だからかもしれないけど、今でも好奇心を旺盛なところがあって、幼稚園は家からすぐの所にあったのだが、小学校、中学校、高校、大学とどんどん家から離れている場所に行くことになり、仕舞いには最後の就学場所がニューヨークという、外へ外へという性格だったのかもしれない。

中学校は一山越えて行く場所で、高校は1時間以上かけて電車を乗り継ぎ最寄駅から歩き、大学は2時間近くかけて通っていた。小学校に至っては、子供が多かったから最初の2年は比較的近かったのに、新しい学校は子供の足で歩いて30分くらい、田んぼの中に作られてその周りも造成中だったから雨の日は泥だらけになって通っていた。

だからなのか、今でも歩く方が車に乗るより好きである。

きっと新しい場所が好きらしい。

引っ越し先の初日に三輪車に乗って遠くに行き過ぎてしまい、迷子になって交番に保護されたという話は逸話でなく本当のこと。父親は相当慌てたらしい。今でも語り草である。父親の背中におんぶされて夜に帰ったのだけは記憶に残っている。

そういう性格だから外向きの性格だったのだろう。今でも引っ越し魔で引っ越し貧乏であり、未だに一人でヨーロッパ旅行するくらいである。

好奇心、というか怖いもの知らずというのもあるのだろう。元々は臆病なのだが、歳をとったり経験が増えてくると大胆になっていくもの。

たまに危ないことにもなりそうな事もあるのだが、結局は何事もなく終わるからつまらない。

人生のネタが少ないのが残念である。(笑)

いつもニュートラルな気持ちだからなのしれない。人間とは見たいものを見る生き物と言われますが、その通りなのかなと最近は感じています。

見たいものというよりか、自分の頭に浮かぶどんな思考も現実になるのでしょうね。

何も考えてないからなぁ、俺。(笑)



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ある日、母の目を盗んで外に遊びに出た。

行き先は裏にある砂場。そこにはすでに遊んでいる近所の友達がいた。

残念なことに自分は遊ぶ道具を全く持っていなかった。

「一緒に遊ぼうよ」、私が言うと

「いいよ」

「うちに帰って道具持ってくるよ」

そう言ってまた家に戻るのだが、私の自宅は団地の三階なので階段を上がって戻るのが嫌だからいつも下から

「おか〜さ〜ん」と叫んでいた。

だから、今でも近所のおばさん達には語り草になっていて、たまに会うとその話もされるのでいつも恥ずかしい、でもほのぼのとした思いをするものである。

案の定、しばらくすると母が出て来て怒り始める。

それはそうだ、昼寝の時間を抜け出して来たので怒るはずだ。

「何やってるの!お昼寝の時間でしょ! お昼寝してから行きなさい!」

まぁ、大きな声で三階のベランダから怒らないといけないのだから母親稼業も大変である。こんなことはしょっちゅうなので近所ではだいぶ有名になっていたのではないかと思っている。

親には勝てないので、しょぼくれて昼寝しに自宅に戻るが、その後はもちろん昼寝から覚めたのが夕方近くで、約束を果たす為にまた砂場に行ってみると誰もいなかった。

というエピソードがあるくらい外遊びが好きで家から抜け出すことが多かった。母親も呆れていたと思う。

でも母親もそんなに厳しい人でなく、門限も

「外の電気がついてたら戻って来なさい」というくらいである。

一度、母が弟を産むときに祖母が家の面倒を見に来たことがあるが、とにかく私には驚かされたらしい。

学校から帰ってくるやいなや

「遊びに行ってくる!」

と玄関を上がることなくカバンを投げ捨てて出て行くのは相当ビックリしていたと母から聞かされたことがある。

小さい頃は外で遊んでいたことしかあまり記憶がない。

それでも嫌なことは覚えている。

ある日、友達二人と遊んでいてそのうちの一人の姉がベランダから呼び寄せたのでみんなでその家に向かったのだが、何故か自分だけ入れてもらえず扉の前で待たされた。

10分くらい待ったのだろうか、静かに開いてお姉さんが顔を出して

「ごめんね、〜〜〜〜」と言われてお菓子だけもらって門前払いとなった。

「ごめんね」の後の言葉は覚えていないが、すごい悔しい思いをして泣きながらお菓子を食べながら家に戻った記憶がある。

多分その経験からだと思うが、友達には強い感情は抱かないようにしてしまっている。どうせ裏切るのだろうから。そして、自分も随分と友達を作っては切ってという事を平気でするような人間になっていったのは否めない。

その記憶だけははっきり覚えている。



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「今日は何して遊ぼうかなぁ?」

いつもそんな感じだった。小さいころから毎日がつまらなくて楽しい事ないかなぁと家にいるときも外にいるときもそうだった。学校が好きだった時期も嫌いだった時期もあったけど、とにかく遊ぶことしか考えていなかったかもしれない。

雨の日は嫌いだ。外で遊べないから。とにかく学校から帰ってすることは外に出る事。外に出れば遊び仲間が居た。居たというより外で一人で待っていれば必ず誰かしら来た。来ない時もあったけどそれはいろいろ事情もあっただろうから全く気にしてはいなかった。

とにかく外が好きだった。家で遊ぶのが苦手だった。

それはたぶんだろうけど兄が得意とする「組み立て」が苦手だったのだろう。プラモデルとか好きだったけど、兄は作るのがとてもうまかった。自分も作るのは好きだったけど、プラモデルにしてもレゴみたいなものを作るにしても何にしても兄が上手かった。だから外で遊ぶ方に向いてしまった。

未だに覚えているのが、小2までやっていたエレクトーンのレッスンを友達と遊びたいからやめてしまった。

何で家にエレクトーンがあったのか覚えていないのだが、兄も私もエレクトーンのレッスンを受けさせられた。でも遊びたいからやめてしまった。それは親も受け入れてくれた。

団地の前にはゴミ集積場があって、良くその中で遊んだものだ。子供ってのは汚い物に何も嫌悪感がないのか、楽しかった思い出しかない。よく母に怒られていた。それもベランダから大声でののしられたことは1度だけではない。

それだけでなく、子供の足でも少し離れれば自然がいっぱいだった。カブトムシやクワガタなんて普通に取れた。近所のおじさんの散歩に連れられてよく虫取りに出かけた。うちの親は興味全然なかったが。

小さい頃は休日は早起き、学校があるときは起こされる生活が普通だった。

「納豆か、卵か、海苔」

これがうちの朝飯だった。

朝飯が重要かどうかなんてそのころは全くなかった。家の食事がスタンダードだった。

朝は友達に誘われて一緒に、もしくは待ち合わせして学校に行くこともあったが基本的には足取り重く一人で行くことしかなかった。未だに嫌な思い出。

とにかく遊ぶ事、それだけだった。今の子供達は可哀想だなぁと思う。ゲーム、スマホっていいのかね。

というのは、自分が本当にバーチャルから離れられたのはニューヨークの留学だった。

それまで日本の子供たちと同じく、漫画にはまっていた。「ジャンプ」「サンデー」なんかがメインかな。ロサンゼルスにいた時は、リトル東京の紀伊国屋書店に行ってまで立ち読みしていた。

でもニューヨークで学校生活が始まって、初めて学校が楽しくなった。自分の学びたいことを学べるというのはどれだけ素晴らしい事なのかを感じた瞬間だった。

それは「リアリティ」が「バーチャル」を超えた時だった。

それ以来、漫画は読むがはまることはない。

だから今でも旅行に行く。一人で。リアリティの驚きが好きなのだ。

それは小さい頃の「何して遊ぼうかな?」 と同じ感情なのだろう。

50歳を越してもまだまだ子供だね。(笑)

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超絶かどうかわかんないんですよね。(笑)

私、大体幸せって状態に常時いるんですけど、それでも最近ちょっと歯が欠けてなんか食べ物を食べてる時に、そこに当たるとちょっと痛いとかっていう不幸がちょこちょこ発生してるんです。(笑)

でも基本的には不幸じゃない限り人って幸せを感じるものだと思うんですよ。

その超絶幸せを求めちゃう人って多分その自分の中に答えがない人だと思います。

インスタグラムとかFacebookとかでそのすごい良いパーティーで楽しそうにしてるとか、すごい高級な料理食ってるとか、海外のすごい景色を見てみたのですごい幸せそう楽しそうみたいのが見えるんだと思うんですけど、でもそれって本人が幸せかどうかって言うと幸せな素振りを見せて自己承認欲求を満たしてるっていう状態であって最終的に手に入れてるものって自己承認欲求だったりするんですよ。

自己承認欲求がなんでその満たされて幸せかって感じるとそもそも承認されてないっていう不幸があってその不幸を満たされるから「気持ち良い」になるんですよ。

で元々幸せな人って自己承認欲求とかあんまりないんですね。

要はその承認されたいって不幸があるから見たされると幸せ、お腹が減ってるからご飯を食べると幸せとか、その誰にも愛されてないけど人に愛されると幸せとか、そもそも足りないものを持ってる人がそれを満たされると幸せに感じがちなんですよ、人間て。

なので超絶幸せそうに見える人ってそもそも何らかの不幸があってそれを満たすためにそういうことやってたりするんで、本当に幸せそうな人ってたぶんなんか猫に囲まれて朝ご飯を食べて「納豆うめーな」とか言ってる人なんですよ。(笑)

なんかそれって別に毎日普通に「ご飯うめーなー」とか「猫かわいいな」とかだけで、誰か他人に対して何かしてもらうって言う必要性がないんですよ。


他人がなんか好きになってくれるとか他人が認めてくれるとか、要はその他人がどうこうって関係なくて本人がその納豆ご飯ちょーうめーとかって食ってるっていう状態ってむしろ超絶幸せと思うのですよ。

人がよく言う「人が必要な幸せ」というのは他人からの影響で自分の幸せが左右されちゃうんですよ。要は他人が自分をどう見るのかとか、他人は自分のことを好きなのかとか、割と人はそっち側の幸せを求めがちなのです。でも本当に幸せな人ってその他人がどうこう関係なく割とその自分だけで幸せになれるっていうのがあるので、もし超絶幸せかどうか?だと自分一人で幸せになれるかどうかで決まるんじゃないかなと思います。




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