アラフィフ「お一人様」気ままな人生

旅行日記、自分の仕事で学んだ事、お気楽人生観、その他いろいろ



こういうことはTwitterとかFacebookで書くのが一番手っ取り早いし、その記事に対する反応も良いのでしょうが、あえてここに書きます。あまり無理に多くの人に読んでもらうつもりもないので。どちらかというと私のための覚書くらいに思って読んでください。マニアックな話なので興味のない方は飛ばして構いません。


今まで楽器のセッティングに関して非常に悩んでいたのですが、いろいろ長い間かけているうちにどういうものなのかというのがわかっては来ましたね。今日は昨日の気づきをメモしておきます。

どうしても音が濁ってしまう。ピックアップのせいなのかと思っていたのだがそうでもない。弦のせいなのかといえばそうでもない。

一つわかったのは、魂柱の位置である。

最近はリペアマンの傾向としてはかなり張って立てる人が多いのかもしれない。それは主流なのでしょう。しかし私は20年以上前にNYで勉強していた時に随分とDavid Gageの所でお世話になった。楽器もそこで買ったし調整もすべてそこでやった。

面白いことにやはりアメリカはリペアをする所、リペアをした所は完全オープンで見せてくれる。だから今では自分で魂柱も立てられるし移動もできる。削りとか割れを修復するようなことは出来ないが、傷のニス塗りや駒替え(削りはできない)、弦の交換、魂柱の立て変えくらいはできる。

Davidの所ではジャズのセッティングの場合は緩めに魂柱を立てていた。それは多分ピックアップ乗りをよくするためだと思っている。

そこらへんで気づいたのである。

楽器というのは思いっきり鳴らすようにセッティングするには魂柱を張った方がいい(違う言い方では「キツくはめる」)ようである。特にボトムをしっかり出したい場合はまさにその方が良いのだろう。

しかしながら、新作の楽器、つまり新しい楽器ほど鳴らそうとするセッティングだと音が荒くなる。

ということに気が付いた。

オールド、ビンテージ、アンティークな楽器ほど音が枯れているものである。つまり張っても荒々しくない音になるのかもしれない。しっかり魂柱を立てても音がスッキリしているのはそのせいかと思っている。

私の楽器も何度も魂柱をずらして試していたのだが、ある程度の期間が経つと突然ならなくなる傾向があった。こんなはずではないと何度も思った。

しかし私の魂柱の立て方は基本的に弦を完全に緩めた時の楽器の胴に合わせて立てていた。これでも鳴るセッティングな方だと思っていたのだが、どうも違うようだ。

それでなくても私の楽器は6弦コントラバスで楽器もでかいし重いし、新作で買ったのでまだ7、8年くらいでオールドと呼ばれるには程遠い楽器である。

こういう楽器にパンパンに魂柱立てたらそりゃ荒々しい音になるのでしょう。Noisyなのは楽器の性質もありますけどね。

でもボトムはすごい出ているし、鳴っています。そしてその状態が長い間続いているのできっと正しい魂柱の位置の一つなのだと思います。

これは市が尾の楽器屋さんで調整してもらったのですけどね。魂柱でなく駒のことでお願いした時に魂柱が倒れてしまったので立て直してもらった、その位置のままです。

楽器が鳴っているということに関しては良いのですが、ピックアップや生音での演奏している時の録音を聞くとどうしても荒々し過ぎて音の残像がよろしくない。音の中で淡い感じになってしまって私が欲しい音のイメージとはどうしても違う。

弦をもっとスッキリした感じで出せるものに替えるしかないのか。

悩みがつきません。ということが書きたかっただけです。読んでくれた方には何のためにもならなかったかもしれませんがご容赦ください。

今日はレコーディング、今日音を聞いてみてまた判断します。

因みに今日までの私のセッティングを公開するとすれば、ピックアップはアンダーウッドでSomedayのマイクをミックスさせていることが多いです。弦は最近購入したピラストロ社から出たパーペチュアルという弦。この弦が良かったのですが、どうも今の魂柱の立て方には合わないのかな?と。もしかしたら前のセッティングに戻した方がいいのかもしれません。エンドピンソケットはインナーコレットで、エンドピンはいろんなものを買って持っています。色々試していますが、最近は「シングルアイ」というエンドピンを借りて試しています。

パーペチュアルはぜひ試してもらいたい弦です。今までの弦選びで3本の指に入るくらい良い弦だと思います。今の私のお気に入りの弦です。



ということで覚書でした。(笑)






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SF映画です。
とある方からのオススメで観てみました。

監督 Andrew Niccol
主演 イーサン・ホーク、ユマ・サーマン、アラン・アーキン

映画「ガタカ」(Amazon Prime Video)

ネタバレしないように内容を要約すると・・・時は近未来、宇宙に行きたい主人公だが身体的に合格出来ずにいる中、とある取引で現在身障者である人間に成り代わって宇宙、他の惑星を目指すという話。

随分と要約し過ぎてしまったが、この時代はDNAを操作して生まれてくるものだけが適合者として宇宙に向かえるのだが、DNAを操作せずに自然出産で生まれたのが主人公。そういう人間は不適合者という事で宇宙には向かえないのだが、その身障者は元々が適合者として生まれた人物。非常に強い、恵まれた体を持っていた。さて、その人物とすり替わる為にどのようなこととなったか!

個人的な感想です。

途中まではよかった。どうすり替わるのかという手法がやはり面白いですよね。もちろん最後には意外な結末があるのですが・・・・終盤に向けてなんか人情的になって近未来の話となっているのになんか物足りない展開になってしまったかな。

なんだ、結局は男と女の話って感じでハリウッド的だなぁと残念に思ったのは私だけでしょうか?

途中まではなかなかスリルがあったのですけどね。ウ〜ン、ユマ・サーマンは綺麗でしたけどね。彼女はパルプフィクションでも知っていて、独特の美を持っていますよね。アメリカ人ぽくないというか、ヨーロッパ的な顔ですかね。それだけでなく、役者としても素晴らしいですよね、彼女は。大好きな役者の一人です。

この主役のイーサン・ホークも素晴らしかったですが、彼は映画「Born To Be Blue」にも主演されています。音楽家の私としては興味があった映画でして、これはジャズトランペッターのチェット・ベイカーの物語でイーサンがチェット役になっています。

このガタカも面白かったですけど、Born To Be Blueを今度見てみようと思います。もうすでにAmazonPrimeVideoに出ていました。Amazon恐るべし。


というわけで今日はここまで。またね!!





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中学校ではバレーボール部に入ったのだが、兄貴が入っていたから入ったまでで、その後兄はすぐにバスケットボール部に移ってしまって肩透かしを食らった状態でスタートしたのだが、仲の良い友達が肩の脱臼で離脱してからすごい寂しい思いをしていたし、同級生はなんか自分が仲良くするような仲間ではなかったから正直居心地が悪かった。

いじめにもあってしまったから嫌になって途中でやめたのだが、それは正直嬉しかった。音楽に打ち込めるようになってからは学校も楽しかったし、何より自分に合う友達と付き合えるようになったのはありがたかった。

何で親はスポーツをやらせたのかが良くわからなかった。でもお陰様で運動音痴ではないのでその後スキーをやる機会ができた時にも役に立ったし、水泳が出来たのでダイビングでも苦労しなかったのはありがたかった。

しかし気の小さい性格だったのかもしれない、親としては強くなってもらいたかったのであろう。でもその当時の体育会系はビンタ、ビンタ、またビンタの世界で暴力当たり前の世界だったから本当に嫌だった。今の時期に10代で学校に通っていたらどれだけ嬉しかっただろうか。

中学校からバンドを始めて、友達の先輩からベースも借りたりして練習三昧であったが、ケチな父親が何故か楽器だけは買ってくれた。

中学校の時にはエレクトリックベースを買ってくれた。もしかしたら誕生日プレゼントだったかもしれない。

今でも覚えている。それは「Tokai」という聞いたことのない、多分最安値のブランドのベースの一つだと思う。今で考えると安くてちゃちいベースだったがとても嬉しかった。

借りた楽器は何故か傷が付いてしまっていた。自分でも覚えていないのだが、返却する時にその件は友達が何とかしてくれたのだと思う。修理代を払った記憶がない。あの時友達が立て替えてくれたのだろうか? 

とにかく練習が楽しくてずーっと弾いていたと思う。もちろん高校受験、大学受験もあったのだが、本当にずーっと弾いていたと思う。

高校も音楽系のクラブの盛んなところを選んだ。レベルとしては自分に丁度あっていたので受験は苦労した記憶がない。

都立府中高校。

まさか音楽系のクラブがビッグバンドだとは思っていなかった。ここではジャズ、フュージョンをやっていて自分は全く知らない世界だった。

あ、フュージョンは中学校の半ばから聴き始めたカシオペアというバンドにハマっていた。その頃からロックはもう練習の楽しみがなくて飽きて来ていたから丁度よいタイミングでフュージョンというジャンルの音楽を知った。

しかし、高校では入学初日のクラブの勧誘には辟易した。たまたま中学校のバレーボール部の先輩がいて、彼はハンドボール部に入っていたらしく懸命に自分を勧誘していたのだが、私はもう体育会系は懲り懲りだからと何とか振り切った記憶がある。

ビッグバンド。名前は府中高校軽音楽部である。今現在はジャズ部に変わっている。今でも存在しているのだからすごいと思った。

最近、その高校の創設からの先輩方々と繋がってなんか妙な盛り上がりを見せていますがね。(笑)

とにかくここでベース三昧でしたね。高校は楽しかった。同じ音楽仲間が増えて、色々な情報も得られたし、いろいろな経験ができた。

卒業したOBには信じられないくらい上手い人が多かった。食らいついて行こうと必死だった。本当に嬉しかった。

OBの中で良く練習を見に来てくれた人がいた。三井健二さん。

彼に連れられて12月のクリスマスイブだったかクリスマスに、他のOBの人が経営している飲み屋で演奏したのだが、それが最初に演奏でお金を貰った経験だった。いくらか貰ったかは覚えていないし、仕事の内容だって華やかなものでもなかった。それ以前に自分がそんなに曲弾けるなんて思っていなかったし「Isn't she lovely」だけは覚えさせられた、それだけだったような気がする。

これがプロとしてのデビューと言ってしまうのならば、もうキャリアは随分と長いと思う。(笑)その頃にはプロになろうと思ってはいたが、どうすればプロの世界に入れるのかなんて大学卒業後も手探りの状態でした。

三井さんには本当にお世話になった。高校生の身分な私であってもいろんな所に連れて行って貰っていろんな演奏を聞いたり、一緒にやらせて貰ったりと。私は三井さんに足を向けて眠るなんて事は出来なかった。しかし、三井さんは40歳で他界してしまった。何もお礼もしてやれなくて悔しい思いだけが残っている。

その当時には国分寺駅の北の方に「モダン」というジャズ喫茶があった。今はもうない。

そこではジャズを沢山聞いてたが、それよりも酒とタバコを覚えたのもジャズ喫茶の影響が強かったかな。

高校生で文化祭の打ち上げが国分寺駅南口のある居酒屋の2階だっからそりゃもう覚えるしかないでしょう。(笑)大学デビューなんて言葉がありましたが、私は高校でデビューしたのです。

高校ではいきなり大人になった気分でした。(笑)






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